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福岡地方裁判所小倉支部 昭和59年(ワ)955号 判決

原告

河野義彦

被告

武藤孝江

主文

一  被告は原告に対し、金三〇三万二〇一〇円及びこれに対する昭和六二年五月二一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決第一項は仮に執行することができる。

但し被告において金三〇〇万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告(請求の趣旨)

1  被告は原告に対し、金三二四七万七〇一五円及びこれに対する昭和六二年五月二一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

3  被告敗訴のときは、担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二請求の原因

一  被告は、普通乗用車(北九州五六の七一八、以下被告車という。)を保有し、自己の為運行の用に供していたものである。

二  被告は、昭和五七年一〇月二五日午後二時三〇分頃、北九州市小倉南区湯川五丁目八番二〇号先路上で信号に従い停車し、道村昌樹が運転し原告が同乗する普通乗用車(北九州五六ほ二九六〇、以下原告車という。)が被告車より約二メートルの後行車として停車していたところ、被告車が突然後退して原告車に衝突し、原告に対し、外傷性頚部症候群の傷害を負わした。

三  原告は右傷害により、

1  中間外科胃腸科医院に、

昭和五七年一〇月二六日から同月二八日まで二日間通院し、

2  北九州中央病院に、

昭和五七年一一月一日から昭和五八年三月三一日まで

五か月入院し、

昭和五八年四月一日から昭和六二年五月二〇日まで

五〇か月通院し、

なお通院治療の必要がある。

四  被告は、被告車の保有者として、自賠法三条、民法七〇九条にもとづき原告の受けた次の損害を賠償すべき義務がある。

五  損害

1  治療費 金六六五万五八四〇円

2  入通院慰謝料 金三五〇万円

3  後遺障害慰謝料 金一一五四万円

原告の後遺障害は神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し終身労務に服することができず第六級が相当である。

4  休業損害 金一二九九万八三一五円

原告の事故前三か月の平均月収は金二三万六三三三円であり、昭和五七年一一月一日から昭和六二年五月二〇日まで五五か月間就労できなかつた。

236,333×55=12,998,315円

5  入院費用等

(一) 入院付添費(三五〇〇円×一五一日)金三八万五〇〇〇円

(二) 入院諸雑費(一二〇〇円×一五一日)金一八万一二〇〇円

6  弁護士費用 金二〇〇万円

7  交通費 金三九万八六四〇円

以上1乃至7の合計 金三八六五万八九九五円

六  被告より損害の填補 金六一八万一九八〇円

七  よつて原告は被告に対し、右損害残金三二四七万七〇一五円及びこれに対する本件事故の後である昭和六二年五月二一日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三請求の原因に対する答弁

一  請求の原因一・二項の事実は認める。

二  同三項の事実中、昭和五九年三月二七日までの入・通院状況は認めるが、その余は不知乃至争う。

三  同四項の主張は認める。

四  同五項の事実は否認乃至不知。

原告は昭和五九年三月二七日には症状が固定しており、後遺障害は一二級一二号が相当である。

五  同六項の事実は認める。

六  本件事故は、被告車が後退徐行中、停車中の原告車に逆突したもので、両車両の物損の程度及び原告の身体に与えた衝撃は極めて軽微である。一方原告は、事故当時七三歳の高齢で、もともと変形性頚椎症(退行性変化)、筋肉老化、動脈硬化といつた既往症がありかかる退行性の病変が損害(傷害)の発生・拡大の大きな要因となつており、原告の総損害のうち既往症と事故の双方の寄与度を比較考量して事故の寄与している範囲・限度において相当因果関係があり被告に責任があるというべきである。

理由

第一  請求の原因一・二項の事実は当事者間に争いがないから、被告は被告車の運行供用者として本件事故に基づく原告の損害を賠償する責任がある。

よつて、以下原告の損害について検討する。

第二  原告の治療の経過と因果関係

一  原告が本件事故の後中間外科胃腸科医院に昭和五七年一〇月二六日から同月二八日まで二日間通院し、北九州中央病院に、同年一一月一日から昭和五八年三月三一日まで入院し、同年四月一日から昭和五九年三月二七日まで通院したことは、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に加うるに、成立に争いのない甲第三乃至第六号証、第九号証の一乃至八、第一〇号証の一乃至五、乙第九号証、第一〇号証の一乃至五、証人東健一郎の証言により成立を認められる甲第一一号証の一・二、同証言により原本の存在・成立とも認められる甲第一三号証の一・二、第一四号証の一乃至一七、証人東健一郎の証言、原告及び被告各本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められ、証人東健一郎の証言及び原告本人尋問の結果中右認定に反する各供述部分は採用せず、その他右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告は、本件事故の翌日である昭和五七年一〇月二六日項部・両側頚部・両肩胛部の疼痛を訴えて中間外科胃腸科医院で受診し頚椎挫傷の診断で二日間投薬等の治療を受けた。

2  同年一一月一日、原告は頭痛・頚部痛を訴え北九州中央病院で受診し、外傷性頚部症候群いわゆる鞭打症の診断を受けて入院し、昭和五八年三月三一日退院した後も昭和六二年二月一二日現在まで、同病院に通院治療を受けている。

3  入院当初の神経学的所見としては、左三叉神経第二枝領域及び左上下肢の触覚及び痛覚鈍麻、両側の大小後頭神経及び肩胛上神経に中等度の圧痛があり、X線写真では、第四・五頚椎間の不安定性、第五頚椎体の後方辷り、第二・三頚椎間の狭少、第五・六頚椎の骨棘形成等の変形性頚椎症が認められた。治療としては、投薬・注射等の薬剤療法、牽引・超短波等の理学療法が行われたが、頭痛・頚部痛の他眩暈や微熱等の症状が続いた。

4  そして退院時は一時軽快したかにみえたが、治療を中断すると症状が増悪するため、その後も同様の治療が続けられているが、症状は改善されず、昭和五九年三月二七日には、今後機能回復の見込みなおしと診断された。

5  なお原告の既往症等についてみると、北九州中央病院において、昭和五六年八月二八日から循環器内科で心室性期外収縮(心臓病)により、昭和五七年一月二二日から消化器内科で胆石病により、いずれも現在まで投薬等の治療を受けており、動脈硬化及びこれに伴う高血圧症もあつた。

6  また本件事故後においても、同病院における国民健康保険による治療として、昭和五八年一一月二五日から整形外科で右変形性膝関節症及び腰痛症について投薬を受けており、昭和五九年四月一八日から整形外科で左変形性膝関節症・左足関節痛及び第四腰椎辷り症について湿布・理学療法(低周波照射)・関節腔内注射療法等を受けており、昭和五九年一一月五日から消化器内科で胃癌により同月七日まで三日間入院その後は通院でレーザー焼灼療法とフアイバースコープによる追跡検査を続けている。

そのほか、いずれも整形外科で、両膝打撲・擦過傷により昭和六〇年八月一二日から同月一九日まで、右手挫創により同年一〇月三日から同月一七日までいずれも創傷処置を受け、右手打撲傷により昭和六一年七月一〇日から創傷処置及び低周波照射を受けている。

7  原告の現在の症状は、頭痛・頚部痛・頭部の痺れ感・眩暈・微熱・左眼の進行性視力障害等があり、その他原告は杖をつかねば歩けず杖を使用しても一〇〇メートルぐらいしか歩けない程の歩行障害があるが、頭部C・T及び脳波は正常である。

8  原告は、明治四一年一一月一五日生まれで、本件事故時の昭和五七年には七三歳の高齢であり、昭和六二年現在では七八歳に達している。

二  次に本件事故の態様についてみるに、成立に争いのない甲第一号証、乙第一乃至第三号証、第四号証の一乃至六、原告及び被告各本人尋問の結果によれば次の事実が認められ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できず、その他右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  被告は、本件事故現場において、被告車を運転して西方から国道一〇号線に入り北方へ左折しようとして、右国道に進入した地点で一旦停止したが、南方より北進してくるダンプカーを認めたので、後方を確認しないまま約〇・八メートル後退して停止したところ、今度は同じく南方より歩道を歩いてくる二名の歩行者を認めたので、これを通すために、後方を確認しないまま被告車を更に約二メートルゆつくり後退させ、停車しようとして右足をアクセルからはずしブレーキをふみかけた時、被告車の左後部を原告車の左前部に衝突させた。

2  原告は、原告車の助手席に同乗していたものであるが、原告車の運転者である道村昌樹は、被告車が前方約二メートルの地点まで後退し一旦停車したのち、再び後退し始めたのをみてクラクシヨンを鳴らしたが、被告は音楽をかけていたためこれに気づかなかった。

3  本件事故の翌日、道村は小山医院で受診し約七日間の加療を要する頚部捻挫と診断されているが、原告車は右衝突によつてフロントバンパーの左側に直径一、二センチメートルの小さな凹みができたものの停車位置は移動しておらず、道村は右修理代二万二九六〇円を受領したことをもつてその余の請求は一切しない旨の免責の合意をしている。

また原告も、本件事故の翌日、中間外科胃腸科医院で受診し頚椎挫傷で七日間の通院加療を要する旨の診断を受けているが、事故現場では怪我をした旨の訴えはなかつた。

4  一方被告は、本件衝突によつて身体が背もたれに当たつたことはあるが頭はヘツドレスにも当たらず、被告車も左後部ウレタンバンパーに微小の擦過痕が認められたものの曲りや凹みもなく勿論修理にも出していない。また被告は、本件事故に関し刑事処分もうけていない。

三  そこで次に、原告の前記症状と本件事故との因果関係について検討する。

まず本件事故前の既往症である心臓病・胆石病・動脈硬化等が事故と因果関係のないことは勿論であるが、前掲甲第一一号証の二、証人東健一郎の証言によれば、次のとおり認めることができる。

1  左右の変形性膝関節症・腰痛症・左足関節痛・第四腰椎辷り症はいずれも本件事故後一年余を経た昭和五八年一一月以降に発症したもので老化現象の一つであり、事故を直接の原因とするものではない。また頚椎間狭少・頚椎の骨棘形成等の変形性頚椎症も老化現象による異常であつて外傷によるものではない。

2  次に頭痛及び頚部痛は、一般に頚神経の圧迫乃至刺激によつて起こるが、第二・三頚椎の椎間狭少により第三頚神経が圧迫されることにより生じることもあり、上肢の痺れや痛みも同様と考えられる。また眩暈・微熱に関しては、交感神経・自律神経の興奮による椎骨動脈の循環不全が考えられるが、他方心臓病や動脈硬化症があると血行障害が起こり眩暈を生ずる事もある。

3  歩行障害については、北九州中央病院入院当初の検査では正常であつて、本件事故後二年を経過した昭和五九年一〇月頃生じた症状であり、前記左右の変形性膝関節症・腰痛症・左足関節痛・第四腰推辷り症などの影響と考えられ、または余り使わないために下肢の筋肉が弱つたための老化現象とも言いうるものである。

また左眼の視力障害は、老人性白内障によるものと考えられ、本件事故との因果関係は認められない。

原告本人尋問の結果中には、両膝打撲・擦過傷、右手挫創・打撲傷について、眩暈のため倒れた結果である旨の供述部分があるが、前記認定の老齢化による歩行障害や視力障害もその原因として否定できない。

そして前記認定の本件事故態様のとおり、本件は徐行から停車直前の接触事故であり、加えて、原告が助手席に同乗していて直前には衝突を予見できたことを考えると、衝突による物理的衝撃は極めて軽微であつたといえる。

一般に鞭打ち症は、半年から一年後には症状固定に至るものであるところ、原告の症状(頭痛・眩暈・微熱)は、本件事故から五年を経過した現在もなお継続し、特に昭和五九年三月二七日以後は症状に変化がなく治療効果がないことからみても、原告の右症状は、本件事故を契機とするものであることは否定出来ないにしても、長期間にわたる症状の継続・残存については、原告の老齢化とこれに伴う変形性頚椎症・動脈硬化症の影響が極めて大きいものと考えられる。

これらの事情を考慮すると、原告の前記傷病乃至これに基づく損害に対する本件事故の寄与率は、本件事故時より原告が北九州中央病院を退院した昭和五八年三月三一日まではその八割、その後症状固定時(後記認定)の昭和五九年三月二七日まではその五割とするのが相当と認める。

第三  原告の損害額

一  治療費 金三〇六万四三五〇円

前掲甲第九号証の二・四・六・八、第一〇号証の四、乙第一〇号証の一によれば、

1  中間外科胃腸科医院 金一万六七四〇円

2  北九州中央病院

(昭和五八年三月三一日迄) 金三二七万五六六〇円

3  同(同年四月一日から昭和五九年三月二七日迄) 金八六万〇八六〇円

であることが認められ右認定に反する証拠はない。なお甲第一〇号証の五、第一三号証の一には昭和五九年三月二八日以後の治療費の記載があるが、証人東健一郎の証言によれば、右同日以後は自由診療から国民健康保険に切り換えられたことが認められ、その後の原告の負担については立証がない。

そこで前記寄与率に従い計算すると、被告の負担すべき治療費は合計金三〇六万四三五〇円となる。

二  入通院慰謝料 金三〇〇万円

前掲甲第四乃至第六号証、第一〇号証の一乃至五、第一三号証の一・二、原告本人尋問の結果によれば、原告は約五か月入院し、その後症状固定日まで約一年間(実日数一五五日)通院し、その後も昭和六二年二月一二日現在通院を続けていることが認められ右認定に反する証拠はない。そこで前記寄与率をも考慮して入通院慰謝料として金三〇〇万円を相当と認める。

三  後遺障害慰謝料 金二〇〇万円

前記認定の事情に加え、成立に争いのない乙第五乃至第七号証、第一七号証の一乃至四によれば、症状固定時における原告の後遺障害は「局部に頑固な神経症状を残すもの」として後遺障害別等級表第一二級一二号に該当すると認めるのが相当であり、これに対する慰謝料として金二〇〇万円を相当と認める。

四  休業損害

原告提出の甲第七号証には、原告は昭和五七年七月から九月迄の間に中日商事有限会社からほぼ一定額の本給と付加給を支給され、右支給額の合計は七〇万九〇〇〇円である旨の記載があるが、原告本人尋問の結果によれば右支給額の記載は虚偽であることがあきらかである。

原告本人尋問の結果によれば、

原告は、昭和三八年一二月に八幡製鉄所技術研究所を定年退職後昭和五七年迄の約二〇年間特に定職は無く、主に厚生年金と僅かの家賃収入で生活して来たものであり、昭和五七年五月一日から中日商事有限会社で働くようになつたこと、及び、同会社は宅地建物取引業を営む会社であるが、社長とその長男の他アルバイトの女子事務員が一名居るのみで、出勤簿もなく、本件事故後昭和六一年迄の間に倒産し社長は行方不明の状況であること、

がそれぞれ認められ右認定に反する証拠はない。

原告本人尋問の結果中には、取引が成立した時その仲介手数料から税金を控除した残金を会社と折半し、その都度現金で受領し一か月手取り二五万円位得ていた旨の供述部分があるが、一方、一件当たりの原告の受領額については、具体的な取引額を仮定しても全く説明できないありさまであつて、他に原告の受領額を示すような帳簿書類の存在を認めるに足る証拠はなく、右供述部分は容易に措信出来ず、加えて、前記認定の原告の年齢・健康状況・それまでの生活状況・会社の営業形態等を考慮すると、原告の稼働実態は所謂アルバイト程度のもので、賃金センサス等統計よりその収入を推認するのも相当でないので、結局原告の確定収入についてはこれを認めるに足りる証拠が無いから、休業損害も認めるに由無いことになる。

五  入院費用等

1  入院付添費

原告及び被告各本人尋問の結果によれば、原告の入院中付添人は居なかつたことが明らかであるから、その費用を認めるに由無い事になる。

2  入院諸雑費 金一五万一〇〇〇円

入院一五一日につき一日一〇〇〇円の限度でこれを認める

六  交通費 金三九万八六四〇円

原告本人尋問の結果によれば、通院のためタクシーを使用し、その領収証の合計額が三九万八六四〇円であつたことが認められ右認定に反する証拠はない。原告の住所から北九州中央病院までのタクシー代は片道一〇〇〇円を下らないことは当裁判所に顕著であり、症状固定日までも一五一日間、その後も毎日ではないが昭和六二年まで通院していること、原告が老齢であり、且つ、保険会社からこれに対応する金額が既に支払われていることを考慮すると右請求の限度でこれを認める。

七  損害の填補額 金六一八万一九八〇円

この金額は当事者間に争いがない。

八  弁護士費用 金六〇万円

本件事案の内容に鑑み六〇万円の限度で相当因果関係のある損害と認める。

以上の損害額及び填補額を差引計算すると、原告の賠償を求めうる金額は三〇三万二〇一〇円となる。

第四  結語

以上認定説示のとおりであるから、原告の被告に対する本訴請求は、三〇三万二〇一〇円及びこれに対する本件不法行為の後である昭和六二年五月二一日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度でその理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないので失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言並びにその免脱の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 渕上勤)

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